冤罪・・・(やってないことよやったと言えばアウトよ・・)
「おかえりなさい」
ありきたりの、身の上話ですけど、聞いてくれますか?
興味本位・怖いもの見たさで、読み進めるのは
止めて下さい。
何だか切ない気持ちになりますし、冤罪経験者の方には
辛い悲しみを思い出してしまうかもしれません。
このままどちらかのページに移動されることをおすすめします。
なんの為に古い過去の思い出を書くのか?ですが・・・
冤罪で今も苦しみの中に居る方に、少しでも心の中の
モヤモヤとした気持ちに解決のヒントがあればなとの思いからです。
たったひとつの言葉に助けられる時があります。
この言葉を知るためにここに辿り着いたということがあります。
いちばんは、自分の心の中に居るもう一人の自分が、
書きながら聴いていますから・・・。
魂込めて書いてみます。
その前に、心を・・・素直に聴ける様に、
こころのシャッターを開けて下さい。
これを観た後に、読んでください。
それは、母の死命日からはじまる物語です・・・
一条は小学校6年生・・・場所は大阪市、阿倍野区・・・。
その日の朝、兄から
「お母さんの容態が悪いけれど・・・学校、休んで病院に行くかい?」
と、言われた・・・。
母は、一条の小さな頃から入院・退院を繰り返しており、
私は母に逢えることは大好きであったが、
病院という場所が好きになれなかった。
【母は総合病院の精神科の隔離病棟にいたので・・・
一般的に言う精神病院だったので、人に母のことを話せなかった】
兄からの問いかけに
「兄ちゃん 僕、学校に行くよ。」
と言って、いつもの様に小学校に登校した。
3時限目だったか4時限目であったか忘れてしまったが、
授業中に家からの連絡と言って学校職員が教室に
一条を呼びにきた時、幼かった私の胸の中で
”何が起きた ”のかは容易に想像出来た・・・。
急いで家に帰り、ランドセルをそこいら辺に投げつけ
自転車に乗り、何所の道をどう通ったのか訳も分からず・・・
気付けば病院の入り口に着いていた・・・。
そ うそう・・・実の母、実の兄とは名字が違う。
それというのも、母には離婚歴が有り、再婚をして私が産まれた。
兄とは父親が違うのです。母は私の実父とも離 婚をしているのですが、
離婚後、何故か父方の姓を名乗ることとなり、以後は現在に至るまで
母、兄と家族で居ながらにして、別姓で過ごすという事になりま す。
ふつふつと湧いてきた『トラウマ』となっているもの・・・
それは・・・
貧乏に由来するお話・・・・・
母 の命日から遡ること2年、私が、小学4年生の時、
その時の担任の先生はS先生といって、
体育科の教師でガッシリとした巨体で何か有ると
体罰を与える先生でよく 殴られた。
子供心にはとても怖い先生であった。
ある時、クラスの生徒の一人が、家から持ってきた
「給食費」の袋からお金が無くなったと言い出したのであ る。
そこで、何故か盗みの疑いが一条に向けられてきた。
自分自身、身に覚えの無い事なので、普通に振る舞っていたら、
放課後担任のS先生から居残りをさせられて・・・そして、
言われた・・・。
「一条、お前が取ったんだよなぁ?」
身に覚えもないものを答えは一つしか無い
「先生、取ってません・・・。」
「一条、正直に言わないとダメだぞ!
お前が盗る所を見た奴が居るんだ!お前がやったんだろ?」
(頭が真っ白です・・・やっても居ない事を見たと言われて、
とても怖い先生が鬼の形相で詰め寄ってくる・・・
パニックで何が何やら訳ワカメな状態に・・・)
「お前がやった事を認めないと、帰れんぞ!」
(S先生の威圧的な態度・・・)
♪〜ピンポンポンポ〜ン
「皆さん下校の時間になりました・・・。 」
放課後の放送室から聞こえるアナウンスと、
寂しい気持ちになっていく、夕焼け小焼けのメロディーも、
とっくに終わり、どんどん日が陰り、
そして心細くなっていき・・・
(このまま、認めないと帰してもらえない。
なかなか帰って来ない自分を、
家では心配してるに違いない。
何とかこの場から逃れたいと
追いつめられた心に、
後々悔やんでも悔やみ切れない後悔
「嘘をつく」という選択してしまった。)
何度も何度も、最初から決めつけられた
言い方で、「お前がやったんだろ?」との問いつめに、
ついに
やってもいない事を ・・・
「ごめんなさい。やりました。」 と、言ってしまった。
その後の展開も考えずに、家に帰りたい一心だった。
そこから逃げ出したいだけだった。
S先生は、
「今、お母さんが迎えに来るから」といって、
暫く教室で母を待つ事に・・・
頭の中はパニックのまま、
どれくらいの時間が過ぎたのだろ・・・
薄暗くなりかけた教室の後ろ側の扉から、
母は現れた。
「りゅう・・いち・・」
振り返って見た母の表情は悲しみに包まれている事が、
一条の子供心でも理解ができた。
(「お母さん、本当はやっていないんだ!」)
思いっきり叫びたかったが、
パニックで頭がおかしくなりそうな事と、
涙を堪える事で精一杯で、
とうとう、
言い訳をするタイミングが無かった。
帰り道をどうやって家まで帰ってきたのか、
まったく記憶が無い。
今も、忘れられない・・あの時の母の表情・・・
あ の時の母の年齢が53歳、
お金に対する嫌悪感が植え付けられた一条の物語である。
今でこそ母には一条の無実が 分かっているが、
こちら側の自分が、そのトラウマと感じるもののお蔭様で、
お金と仲良くやっていけない・・・
それを,今日は「許す」日にします。
冤罪ということが有ってくれたお陰で、
冤罪という言葉を聞く度、お母さんを思い出す事が出来ます。
自分はお母さんに対する思いが、誰よりも
「特別な思い、強い感情」がある事にも気付く事ができました。
私には敏感に反応するお母さんに対する感情の
お陰様で「お母さん」と呼べる人が、4人も居ます。
それは・・・
実の母と分かれた父、実の父が後に結婚をし、
一条の弟を産んでくれた「M子お母さん」
4回目の結婚をしてくれた奥さんの母親「Hお母さん」
今の奥さんの母親「N子お母さん」
今年も、それぞれのお母さんに感謝を
贈る日が近づいてきています。
今年から、母の写真の前にカーネーションを置く時、
あの時の申し訳ないという思いを捨てて、
自分に対して自信と誇りを胸に・・・手を合わせたい。
お母さん・・・
「産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
見守ってくれてありがとう。
信じてくれてありがとう。
一条が寂しくないように・・
3人のお母さんと
巡り合わせてくれて
ありがとう」
最後に、
S先生へ。
S先生、
あの時、一条を犯人に選んでくれて
ありがとうございます。
S先生がしてくれた事は、感謝してもしきれません。
本当に、ありがとうございました。
叱られる方よりも、叱る方が大変な労力がいりますものね。
起こる出来事は、その出来事の真髄を味わい尽くすまで、
経験として心に残し、学びに変えなければトラウマとなる
何時迄も引きずり、いつまでも悪く影響することが
やっとこさわかりました。
それを教えてくれるために、冤罪という形を使ってくれたんですね!
S先生の寛大で広い心に、
教育者としての凛とした態度に、敬意を表します。
本日、この時を持って、
S先生に感謝と、冤罪には心からの喜びと感謝を、
そしてお母さんには、感謝し切れないけど感謝をしております。
「本当に、ありがとうございました。
学ぶためにひとつの物語をプレゼントして
いただいたことに感謝を。」
いかかでしたか?
いや、一条のインナーチャイルドさん、
納得しましたか?
納得したら、感謝に変えましょうね!
「感謝、感謝、感謝」です。
今日は、母の命日・・・お母さんに感謝。
それでは、今日も元気に
「いってらっしゃい」
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