風俗 伝説の講習師 一条

これから風俗をはじめる女の子は必見!
風俗・お水系、いわゆる擬似恋愛産業に従事する
女の子が、今一番身につけなければならないことは知識です。

小手先のやり方、少しかじっては解った気になって
体験談などを書いている
元・・・の ブログ等、使えないだけならまだしも、
真似ると最終的には、病みの闇に はまってしまう、
お客様をユーザー&リピーターに取り込もうとすることに
特化した、宣伝活動の、ク◯サイト(◯ソサイトと書きたい…)

で溢れていないですか?


風俗や水商売ですっかり迷子の子羊になって
しまっているそこの、あ・な・た・♡

迷宮に入り込んだ貴女には再生出来る最後の
チャンスとしてとして!

これから風俗業界に飛び込もうと、迷える子羊さん!

風俗という世界は、最初に選んだお店ですべてが決まります。

最初の3ヶ月をどのように過ごすか?
人生を変えてしまう大切な時期だというのは
わかっているのですが・・・

誠に残念ながら貴女をしっかりと
育ててくれるお店に出会うことは難しいのです。

いいえ、難しいのではなく有りません!

申し訳有りませんが、本当に無いのです。

はっきりと言いますが、風俗店の経営者が
関心のあることは、お金儲けだけです。

あれやこれや注文を付けてくる
小賢しい従業員は切られるのです。

教育に無いところに、
女の子が育つはずもありませんから、
3ヶ月・6ヶ月・1年という
サイクルで店を転々として、
知識のない子羊たちは、弱い立場のまま
搾取されて、使い捨てられていくのです。

使い捨ての子羊、搾取され続ける弱者と
ならないためには、女の子も努力をしなければなりません。

それは、「学ぶ」という事です。

小手先のテクニックではなく、他人の経験則に従った
使えないノウハウではなく、
これから貴女が通るべき未知の世界のすべてを
順番を踏まえて、着実に歩んできた経験者に学ぶのです。

一流を超えた超一流、カリスマを超えたレジェンドに
誰にでも出来そうな小手先のやり方ではなく、
貴女の存在意義である、在り方を学べば良いのです。

巷にはやり方を教えてくれる役立たずのサイトは
星の数ありますが、貴女に対してこう在るべき姿を
教えてくれるところは、ここにしかありません。


ここに辿り着いた貴女の実力は、カリスマに成るべく
実力を秘めた たからもので間違いありません。

人生を真剣に、
生き方を真面目に
考えている貴女なら、

いま、ここから、一条が応援団となります。

師匠の物語(一条が超えることの出来ない大師匠ですねん)

「おかえりなさい」
大・大・大・大・大尊敬している師匠の話です。
Y本部長心中はどうなのだろうか?なんてことを真剣
考えてみなかったら、ここで一条が吠えたりはしていません。
今の自分の考え方で良いのか?一度でいいから話し合ってみたい。
そんなことを思います。多分、「好きなようにやってみ」が答えですけど・・



師匠との出会いは、平成8年(1996年)話です。


師匠というのは関西では大手のグループで本部長だったYさんです。


その年、自分は店を潰し、借金を抱え、同棲をしていた女性が、私の借金返済の為に風俗業界に入ったことが出会いのきっかけでした。


業界入りした彼女の講習を担当したのがY本部長なのです。


彼女の店の責任者ですから、彼女のほうからいろいろなな相談事をY本部長にしていたそうです。


その相談事の一つに、私自身がホスト業界に長く居たために次の仕事が決まらずに、しばらくプータローですからヒモの様な生活です。


彼女がY本部長に、僕のことを仕事をせずに家でプラプラしているとボヤいたところから・・・


「系列の京都の店では人手が足りないから、面接に行ってみれば?」


っと、声を掛けていただき、
私が風俗業界入りをするきっかけとなった方です。


Y本部長と出会ってから2年程が経過した時、
(前年は阪神淡路大震災という事件が起きました)


一緒に神戸は三宮地区で新店舗の立ち上げをすることになりました。


1店目のオープン後は、売上・客数ともに順調で、
神戸地区の店舗は3店舗になりました。


私の神戸地区での位置はY本部長の二番手で、役職は店長でした。


日々の私共の「一番大切な「仕事」はというと、
Y本部長を 店に来させないことでした。 


Y本部長からは、一日数回電話連絡が入ります。 


その時、現状の店の状態(女の子の出勤人数、誰がどんな事情で休んだか、
お客様の入り具合、男子スタッフに変わったことはないか・・・etc)を
報告事項をするのですが、何かがあれば、有った事柄の報告を
(事の発端から経過、結論までを耳に入れておきます。)します。 


判断のつかない事だけは、判断を仰ぐために連絡を入れますが、それ以外は一切こちらから連絡はしません。 


Y本部長の唯一の趣味が麻雀です。


お店に来させないというのは・・・
Y本部長は店に何かがあればいつでも
店に来れるように、店舗の近くの雀荘で
ほぼ一日を過ごされます。


私達男子スタッフの合言葉 &一番大切な仕事が、


「本部長に安心をして麻雀をしてもらうこと」 でした。 


「現場はすべて滞り無く運営をし、文句の言われない売上を
 ちゃんと確保しておきますので、
 安心をして店を空けてもらって結構です。」


と、言っておりました。 


何かの時にには、矢面に立ち私達部下を庇い、
食事に誘ってくれたり、素晴らしいタイミングで
アドバイスやフォローをしてくれたり、
絶対に怒らない、キレない、どっしりと構えた、
心から尊敬に値する人格者でした。



神戸勤務になった時、私は独身でしたが、隣のパチンコ屋で働く
3番目のお嫁さんと知 り合うことになります。


そして、結婚祝いということで、中古ではありましたが
高級腕時計・・・
SARCAR(サーカー)マジックムーンとうい時計をプレゼントして頂きました。


その当時の定価では400万円
中古でしたが130万円位で購入されておりました。


私は、神戸から横浜地区へ新しい店舗の立ち上げを命じられ、
Y本部長の元を離れることになりました。 


それから半年程して、私が会社とのやり取りで、
納得がいかなくて、辞職することにしました。 
(平成11年8月のことです)


その際も本部長には様々な相談事をしました。


それから、私は関西の大手グループを退職し
横浜にて関東を拠点とする最大手グループに入社することとなりました。


新たな会社でも間もなく役職となり、現場の仕事に追われ本部長とは
疎遠になっていきました。



平成17年暮れに、以前、部下であった者から
一本の電話がかかってきます。



「Y本部長が亡くなられたのは知ってはりますか?」 



あまりの驚きに・・・はぁ?・・・


頭がパニックで意味不明です。


落ち着いて話を聞くと、
4月25日 JR福知山線の列車事故で、
命を落としたと言うことでした。


確かに、事故のことは当時大ニュースで、事故後
1週間ほどは連日報道していた記憶がありました。


慌ててネットで被害者名簿の検索をかけてみました。


疑う気持ちで名簿を探しましたが、
Y本部長の名前を見たときにはガックリきました。 


電話をもらった後輩に、Y本部長にお線香でもあげに
行きたいので、家の住所を調べてほしいと頼んでおきました。


後日、JRから連絡が入り、Y本部長の家族の方が、
そっとしておいてほしいので、連絡先は教えたくないと、
返答をいただきY本部長の墓前には行けておりません。


そこから毎年・・・
(5年目以降は諸事情で行けてませんがが・・)


4月25日は尼崎の事故現場に出向くようにしています。


平成18年4月25日に初めて現場に立ちましたが、
その場所で生命を落とした事に自分自身が気付かずに
現場に魂だけが残った様に感じられます。



ひっそりと、深い悲しみに包まれた空間に
なっています。



私が師匠より教わった一番大切な教えというのは、
ヘルス(風俗の名称)というのは本番をしない。
ということです。


僕の借金が原因で、業界入りした当時の彼女を、
僕は心底惚れていました。


惚れた女を業界に入れる男の心境とは…
心臓を鷲掴みにされる思いが何日も続きます。


自分への不甲斐なさと苛立たしさ、彼女に対する嫉妬心と
頭の中、心の中思考や意識のなかで目まぐるしく自分を責めたてます。




いつしか僕も女性に対して講習(仕事を実戦形式で教える)を
するようになり、およそ3.000人位の女の子から女性まで
(18才~49才迄)を教えた経験がありますが、
たったの一人女性に対しても講習において本番という行為は
一回たりともしたことがありません。


それは、Y本部長が講習を担当してくれた当時の彼女には
僕が付いていたように、
業界入りしてくる女性には、必ず愛する男性が傍らにいる
という思いがあるからです。


私が、そうであったように・・・。



今はもう、共に語ることも出来ませんが、朝晩手を合わせ、
一生をかけて師匠の恩に報いようと思います。


ここまで、読んでいただいた、貴女様に、厚かましくもお願いですが、


4月25日が来ると必ず事故のことが報道されます。


もしも・・・


少しなりとも一条の師匠が・・・と
思い出すようなことがありましたら、
Y本部長の冥福を祈っていただければありがたく思います。


私は毎日朝夕に、


師匠の冥福を・・・今日も・・・祈っております。


この世には見えない存在となられましたが、
私の中には今も元気な笑顔のままで
Y本部長は生きて居られます。


自分の生涯では超えれれない存在の大師匠となられましたが、
Y本部長に、は心からの感謝と敬意を表します。