答えのない答えが出る質問①・・・「何で?」(悩みの80%解決してあげる)
「おかえりなさい」
講習師として6パックボディを造ろうと決めたのに
過食に走ってしまっている・・・一条です。
お腹パンパンで呼吸も浅く・・・何やってる?
と、自問してしまいます。早く弟子を取らないとね。
悩みの相談の中には結構悲痛な事柄が、
日常的に起こっていますね。
目にした相談は次の様なものでした。
旦那様の浮気が発覚、そのことを強く責めた結果、
奥様へは怨みつらみの遺書を、浮気相手の彼女には
ラブレターを残して首吊をして亡くなったということです。
残された奥様には
「なぜ?」という疑問が残ります。
目の前の現実は自分への怨みつらみの遺書ですから・・・。
なぜ?の答えはあたかも奥様の責めだと
99.9%の人がそう思いますよね?
目の前の表層部分だけを見るとそう見えてしまいます。
「なぜ?」の答えを知っているのは誰だと思いますか?
それは亡くなられた旦那様の頭の中にだけに、在るのです。
旦那様の頭の中にだけ答えがあって、
奥様がいくら考えても
答えは奥様には無いのです。
答えのない答えに対して、「なぜ?」の質問をすると・・・
「なぜ?」→
「なぜ?」→
「なぜ?」→
答えが無いのですから、その都度に原因を見つけ、
最終的に責任の所在を自分が原因で自分が悪いんだという
結論を導き出します。
試しに「なぜ?」の質問を繰り返してみて下さい。
最終的にはすべて自分に降り掛かってきますから・・・。
旦那様の遺書は、自分がしたことを棚に上げた、
奥様への責任転嫁で、旦那の最後のわがままで
旦那自身に対する間違った正当性を主張する策略です。
旦那は、責任逃れの卑怯者です。
私達、日本人は死にゆく者を憐れむ国民性で、
亡くなった方を悪く言う事をしない民族なのです。
死をもって責任を果たした様に騙していますが、
それは、犯罪者が犯した罪を償う死刑の話しで、
自殺とは責任回避であり責任転嫁の
被害者を装った加害者です。
この場合の真の底に在る本質は、旦那の卑劣な
最後の我儘です。
ハッキリ言いますが、自殺とは、責任を負えない
卑怯者がすることで、生き抜くことの方が、
どれほど辛くて、崇高なことなのか、自殺者は
死んだ後に理解することになるのです。
話を・・・
「なぜ?」に答えがないのか?
に戻します。
「なぜ?」という(答えのない)質問・疑問に対して
自分の脳は、
目の前の事象を結果と捉えて原因を探す事をします。
目の前(現在)から過去に遡り記憶の中から
原因を見つけ出そうとします。
何度も言いますが、答えはないのです。
無いものを探し出す質問「なぜ?」は、無限ループの
入り口に立つ質問、答えは自分が悪い!となります。
では、起こった事象に対して、どのように対処すれば
良いのでしょうか?
目の前の出来事は「なんの為に起こったのか?」
と、質問・疑問を変えて下さい。
「なんの為に」と捉えると、目の前の出来事を
今現在(原因)として、答えを未来(結果)に導き出します。
今直ぐに答えの見つかる場合と、
多少(恐ろしく時間のかかる場合もあるが)の時間の経過
の先に答えを見つける場合があります。
「そういうことだったのか?」という答えに出会った時に、
すべての疑問だったことが、腑に落ちることになります。
まとめると、
「なぜ?」には答えがない。
質問の答えを求める為に、自分の記憶(過去に戻り)を遡ることは
退行をしていくということで、必ず 心が傷つく負の感情を伴い、
暗く、不幸な結果しか得られない。
「なんの為に?」という問いかけは、今、この場所のこの状況から
答えを未来に導き出そうとする行為となるので、答えは1つではなく
選択肢がある。選択できるということは、一番都合の良しとする
理にかなった答えを導き出し、その答えは明るく、希望と気付きの
含まれたものとなる。そして、喜びの感情が伴うので
幸せに辿り着くということになるのです。
いかがでしょうか?
ややこしい話しですが、
少しは役にたったでしょうか?
一条がこの事を学んだのは、
平成22年2月に亡くなった
愛犬が教えてくれました。
なぜ?の理解を深める為には、
もう一つ「時間軸」という
概念からの説明もしなければなりません。
それで、悩みの100%を自己分析、
自己解決できると思います。
それでは、今日も元気に
「いってらっしゃい」
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