「おかえりなさい」
風俗では、店の女と金(売上)には手を付けない。
ゴールデンルールと言われてます。
一条はルールにはクソ真面目にそってやってきました。
特に、講習師として3.000 人以上教えましたが、
ただの1回も挿入行為はありません。
客にルールを守れと言ってて、女の子から後ろ指を
指されるのは恥ですよね。
講習を受けて帰ってきた愛する女の側に居ましたから
・・・
生涯破ることのない自分のルールです
私が風俗に入った経緯から、
何処でどの様な風俗店に関わってきたのか?
一条は本当にそれ相当の経験をしてきたのか?
講習師と名乗る資格があるのか?
何処の馬の骨なのか?
明らかにしていきたいと思います。
訳あって一条はホスト時代の源氏名です。
あの頃にいたあの店の店長だと・・・
あ!ひょっとすると…あの人?なんて
思い当たる節の方が居られるかも分かりません。
そう思われた方、
そう、
あの人で正解だと思います。
それでは、
ストレートな名前を出すのは
すこし気が引けたりもしますので、
一部をヌキ字にさせていただきます。
風俗業界の発端は
大阪十三にあった
◯ット・◯イントという
5〜6部屋のファッションヘルスに
当時の彼女と一緒に面接を受けに行ったことでした。
十三商店街のなかにある喫茶店で
そのお店の主任という方が
面接をしてくれました。
私、一条は風俗の女の子面接を、
彼女の隣で一緒に受けた経験をもっています。
風俗店の男子スタッフ面接を受けたことのある方は
数多く居ると思いますが、女の子のシステムを聞く面接を受けたという男性はまずいないでしょう。
一条が女の子を面接する場合、彼氏や旦那様が同席でもいつもと変わらず面接をします。
ただし、その場合は女性よりも同席の男性に必ず納得をしてもらえるように熱を込めて話してしまいますけど…ね。
面接後、
講習当日には車に彼女を乗せて
店まで送って行きました。
講習終了後、彼女から電話が入り
「パパ、終わったよ…」
連絡を受けて、車で迎えに行きました。
帰りの車の中では・・・
彼女に掛ける言葉も少なく・・・
「どやった?」そう聞くのが精一杯でした。
愛する彼女を、自分の借金が原因で風俗に
勤めさせてしまうという罪悪感と、挿入こそないにしても…身体中を舐め回されたり、絡んだりするのだと思うと、心臓を鷲掴みにされるくらい胸が傷んだ経験をしました。(これは本当に辛い…)
どんな店舗経験なのかの紹介でしたね。
京都では
◯ット・◯イント パート2
という店舗で男子スタッフ面接を受けました。
前職がホストで、年齢が37才になっていた
こともあり、担当した面接官のF氏
(かなりの肥満体型)は、
甲高い声で
「う〜ん、37才ね〜…」
と考え込んでいました。
そこで間髪入れずに自分から
「嫌だったら断ってくださいね。」
と。
F氏
「いやいや、そういう訳ではないです。」
(どんな、訳やねん?とは言いませんでしたが…)
「何時から来ることが出来ますか?」
そう聞かれたので、
何故か「3日後からなら」と答えていました。
京都◯ット・◯イント店に
風俗の電子スタッフとして、
デビューしました。
それから3ヶ月後には主任となり、
ある日突然にF氏から
「一条君。この娘、仕事教えてあげて」と、
初めて女の子の実技指導を任されました。
19才の初々しい女の子で、風俗未経験、
源氏名は、あおいちゃん。
心臓がバクバクしながらシャワーの入れ方から
全身リップ・69・口内発射まで、
無我夢中で頭真っ白になって教えた記憶があります。
大阪に勤めていた彼女は、
京都では3店舗目になる、◯ップ◯ティックという
新規オープンの店に移籍をしてきて、
あれよあれよという間に
NO.1になっていく姿を横目で見ておりました。
京都には大阪から通勤しておりましたが
その頃、阪神淡路大震災を経験しました。
その翌年、神戸に◯ット・◯イントを
立ち上げるということで、
Y本部長を責任者として、自分は店長として
神戸に乗り込みます。
神戸◯ット・◯イント(性感マッサージ)立ち上げ
2店舗目は神戸◯ャルソンの立ち上げ
三宮の店舗ですが元々はゲームセンターで、
1店舗目は2階の神戸◯ット・◯イント
2店舗目が、1階部の神戸◯ャルソン
立ち上げが落ち着いた後は
3店舗目に◯ット・◯イント・パート3の店長をやりました。
神戸に来る少し前の事、風俗嬢になった彼女に大学生の彼氏が出来たことが発覚し、彼女は風俗と私の元を静かに去って行きました。
神戸◯ット・◯イントでの立ち上げの1週間前には、1日3人の講習とかが当たり前で、Y部長と二人、それこそパンツを履く暇も無い忙しさでした。
その頃、前立腺マッサージの教えすぎと
過労、彼女と別れたストレス等から
痔瘻(ぢろう)という病気にかかり、患部から肛門にかけてオペで輪ゴムのお父さん位の太さのゴムを装着されました。
手術は住まいから店舗までの丁度中間位にあるM肛門科で行い、入院は出来ないので、通院治療の為に自転車で1分の距離を歩いて30分ほどかけて痛いお尻を引きずりながら帰った経験があります。
肛門に入れたゴムが縮むのを利用して徐々に患部が表面に近くなったところで、再度手術をするということだったのだけど、お尻にゴムが入ったまま、横浜に新店舗を立ち上げるということで、横浜転勤を告げられる。
横浜では◯ールドグループというところが
◯ット・◯イントという名前を
既に営業しており横浜での関西系グループの
名前は◯ンディグループという
名称でした。
立ち上げ店舗は
横浜◯ンディというマット系ヘルスとなります。
講習の際に
「お尻にゴムが入っているけどゴメンね。」
なんて情けない事を言いながら、実技指導をしていた。
横浜転勤から半年ほどして京都のF氏から連絡があり、
「売上が上がらんから京都に帰ってこい。
戻ったらマネージャーに降格や!」
そう言われれても納得がいかずY部長に長々相談にのってもらった結果、辞職すること決めて、◯ット・◯イントグループを退職した。
横浜◯ンディという店舗は横浜は国道16号線に面した横浜楽園ビルの4階5階6階部分で1店舗となっており楽園ビルのオーナーはというと
全国屈指の風俗グループ、
◯レンチ・グループだった。
◯レンチ・グループの本社(東京)の方と行き来があった事があり、自分が辞めた事を聞きつけたSさんという方が、ある日連絡をくれた。
「オーナーが一条さんに会いたいと言っていますが、
新宿まで御足労くださいませんか?」
ということで、◯レンチ・グループのオーナーと会うことに。
一応、履歴書を持っていき、面接は厳つい事務所で、
「何で辞めたんや?」
これこれこうです。
「給料は幾らもろてたんや?」
「はい、◯0万円です。」
… …
「◯0万円からスタートでどうや?」
「はい、ありがたいです。」
「すぐに店舗責任者になってもらうからな。
横浜の責任者に会わせるから、明後日、横浜の
〇〇に〇〇時にきてくれ。」
そうやって◯レンチ・グループに拾ってもらった。
先ずは、◯ヘル同好会でボーイスタート。(5店舗目)
5部屋の巨乳専門店◯ーイング99立ち上げ 店長(6店舗目)
言葉責め専門店 ◯’ts ◯ULLy 店長(7店舗目)
痴漢コスプレ店 横浜◯プリ娘 店長(8店舗目)
人妻ヘルス ◯ulb ◯ife 店長8(9店舗目)
東京へ異動(無許可店の為、店長から社長と役職名が変わる)
ジャングルヘルス ◯ェーンと◯ーザン
社長(10店舗目)→閉店
人妻ヘルス ◯丁目の奥様 社長(11店舗目)
→摘発→閉店
その頃、東京◯レンチ・グループとして、
デリバリーヘルスを立ち上げる。
そこに、受付を設けた案内所を作り
5店舗を営業する(12店舗)→他グループに売却
営業しなくなったソープランド後を新たに店舗型ヘルスとして
◯レブショップ新宿 立ち上げ (13店舗目)
中野・鶯谷の3店舗をあわせた東京統括となる。
福岡転勤 ◯イドイン福岡 / ◯’ts ◯ULLy 統括(14店舗目)
そして、2011年11月 ◯レンチ・グループ退職
現在に至る。
とまあ、こんな経緯です。
ちっちゃな頃からの引っ越し回数を数えてみた事があって、
何と!今の住まいで38回目を数えました。
「引越し貧乏」って、本当なんですね・・・w
それでは
今日も元気に
「いってらっしゃい」